| 1762年 |
将軍家治、万満寺に70石の朱印状を下付する。江戸川にて洪水発生。思い余った松戸の百姓、根本の堤を切る。それが原因で乱闘となり、死傷者が出る。 |
| 1763年 |
小林一茶、信濃国水内郡柏原村に生まれる。幼名は弥太郎。 |
| 1767年 |
西新田役所内の猪を追い払う。中野牧で火災発生。野馬捕り人足の煙草の火が原因。 |
1769年〜
1773年 |
大雨、大干ばつ等により不作。 |
| 1772年 |
田沼意次、老中になる。江戸、行人坂に大火あり。このころ、松戸市域の俳諧盛んになる。大川平右衛門、布川に住む老我(後の元夢)に弟子入り。老我は淀藩稲葉家の下級家臣。深川の下屋敷との間を行き来する。深川には彼の師、馬光、素丸が居住。布川は米の裏作として、菜種を栽培。この菜種が油商人大川家と関係したのではないかと推測。 |
| 1774年 |
松戸河岸にて火災発生。松竜寺脇本陣から小山浅間宮まで全焼。 |
| 1776年 |
アメリカの独立宣言。日光御社参の大名松戸宿を通過する。 |
| 1777年 |
小林一茶(15歳)、江戸へ奉公に出る。この後10年間一茶の消息不明。江戸開府以来の大洪水。幕府、奉公稼ぎを禁止する。 |
| 1778年 |
千駄堀村の畑、猪と鹿に荒され、大きな被害を受ける。水戸家役所に訴える。 |
| 1780年 |
水戸家鷹狩を行う。仙台中将松戸に宿泊。 |
| 1781年 |
水戸家鷹狩りを行う。関所が火災に遭う。上州にて、絹一揆起こる。 |
| 1782年 |
葛飾派森田元夢の門人大川立砂、判者を許される。「はいかいまつの色」出版。序文は葛飾派3世素丸が書く。 |
| 1783年 |
水戸家鷹狩りを行う。7月6日浅間山の大噴火。大雨。江戸川上流から家財道具が流れてくる。どろ川と化し、夥しい死人が流れてくる。この年冷害となる。 |
| 1784年 |
田沼意次の子、意知、殺される。 |
| 1786年 |
田沼意次、老中職を免職。徳川家治死去。松平定信が老中になる。将軍家斉、万満寺に70石の朱印状を下付。水戸家の鷹狩。 |
| 1787年 |
小林一茶(25歳)、二六庵竹阿に入門。寛政の改革始まる。江戸市中にて打ちこわしあり。(天命の打ちこわし)東国一帯に広まる。金ヶ作彦次右衛門、荒地開発のため、金ヶ作役所より助成金を受ける。
|
| 1788年 |
小林一茶(26歳)、葛飾派今日庵元夢に入門。フランス革命始まる。徳川家斉、万満寺に70石の朱印状を下付。 |
| 1789年 |
小林一茶(27歳)、奥州行脚。この年から一茶の句確認される。郡代、平潟の飯炊き女について訊問する。水戸家鷹狩。 |
| 1790年 |
二六庵竹阿、没。一茶(28歳)、素丸に入門。寛政異学の禁。この年大干ばつ。水戸家鷹狩。水戸殿小金宿泊。 |
| 1791年 |
小林一茶(29歳)、「寛政3年紀行」の旅に出る。 |
| 1792年 |
小林一茶(30歳)、西国へ旅に出る。古ヶ崎村役人と百姓が対立する。郡代を廃止する。古ヶ崎、主水の堤を切る。 |
| 1793年 |
金ヶ作役所野馬方、岩本石見守支配となる。野馬の焼印、牧毎に区別。 |
| 1794年 |
将軍の御鹿狩のため、旗等を下付。 |
| 1795年 |
3月5日、将軍家斉小金原にて御鹿狩。獲物は猪132疋。小金牧の総野馬数、5013疋。 |
| 1798年 |
小林一茶(36歳)、江戸に戻り、「さらば笠」刊行。10月10日大川立砂と一緒に、真間山弘法寺に紅葉を見に行く。 |
| 1799年 |
小林一茶(37歳)、甲斐越後へ出発。立砂、竹の花まで見送る。一茶二六庵を継ぐ。大川立砂死亡。一茶臨終に立ち会う。幕府、蝦夷地巡視に出発。 |
| 1800年 |
今日庵元夢死亡。 |
| 1801年 |
小林一茶(39歳)、帰郷。5月21日父死亡。幕府、伊能忠敬に沿岸測量を命ずる。 |
| 1813年 |
一茶(51歳)故郷柏原に帰る。柏原に定住する。翌年、初めて結婚。 |
| 1827年 |
一茶、柏原にて死亡。65歳。 |
| 1833年 |
斗囿、死亡 |
| 文 石川博光 |